Rapha Continental ラファ コンチネンタル

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どんな物事であっても、一言で表すのはとても難しい。

「何か」をひとつの言葉に置き換えるのは詩人に任せておくとして、僕たちは写真と動く映像と、率直な言葉を使うことを選んだ。
ロードライドが持つ魅力的な「何か」を伝え共有する、比類なきライドドキュメント “Rapha Continental" について少し書きたい。

2007年に北米で始まったこのプロジェクトが明らかにしたもの。ロードレースとロードライドの持つ美しさは、ゼッケンをつけたジャージが普段着で、プロトンが暮らしの場であるプロライダーだけが享受できるものではないこと。

名もなきライダー、しかしロードライドを愛する私でありあなたが到達できる世界の本質は、プロレースと同根の苦痛の先にある栄光。もしあなたがプロのレーサーなら、自身の苦痛だけでは栄光を手に入れることは出来ない。共に走る仲間であり家族であり、敵である他者の苦痛をも凌駕しないことには、勝利と言う名の甘美な栄光に浴することはできない。

私たちのハードルは、それよりずっと低い。私たちの苦痛の見返りは金銭ではなく、純粋な栄光そのものだ。終わりの無いように思える長い登り坂で、隣に苦しむ仲間がいればそれは共に今を行きている証となる。登坂の終わるところ、山頂で自然と仲間の手を握ったのは、同じ道を自分の足で走り切ったことへの無言の賛辞であり、それが純粋な栄光そのものだからなのだ。打ち負かすべきは誰か敵ではなく、自身の諦念と薄弱な意志。

かつてロードレースは、冒険であり旅だった。フランスを一周するレースにはアルプスの未舗装の峠道が乱立し、ピレネー山脈では野生の熊が通る者を脅かした。あるいは「緑の歯をした魔女」がライダーにキツい一撃を加えることも。誰も自転車で行かぬ道無き道を進んでいったこの時代のライダーにとって、1kmごとに新しい発見があり、時には息を呑むような風景、光景に出くわしたことだろう。

Rapha Continentalの精神は、この旅と冒険の時代のロードライドへの敬意を隠さない。世界の大陸は恣意的に線引かれた国境と中央集権的な都市計画によって今や毛細血管のごとく道があらゆる国に引かれている。「誰も通ったことのない道」という言葉が定義上正しいかはともかく、そんな道に惹かれてしまうのがロードライダーというものだ。

今や誰も知らない道というのは、人間の暮らすところにほぼ存在しない。しかし道を走りながら、何かを見つけることができればその瞬間、そのライドは旅と同義になる。旅とは浮遊するような移動の中、毎瞬間を新しいものとして生きることではなかったか。今日でも、ツール・ド・フランスは毎年、フランス人ですら知りえなかった道の顔をレーサーたちのとびきりの競演を持って描き出している。まだ旅されていない道は、世界のそこかしこにある。

どうやら、ロードライドの持つ魅力的な「何か」とはこのあたりにありそうだ。これだけ言葉を連ねてみても、筆の力不足からやはり表すことはできなさそうだ。実際にライドに出て、仲間とともに困難を越え、自分自身に屈せず、一日がかりでフィニッシュした時、自然にこみ上げるこの「何か」をどうやって人に伝えることができるか。

Rapha Continental は映像と文章で、ロードライドの「何か」どうしようもなく魅力的で語りたくなり共有したくなるものを表現します。

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なぜいま、改めてRapha Continentalについて触れたくなったかというと、再び日本でのライドが近づいているから。日本では “Rapha四列島” の名前で2009年にスタートしたプロジェクトも、これまで5つのライドを発表し、日本でのライドを世界に発信したのでした。

今日ではRapha Continentalとしてグローバルなプロジェクトに位置づけられるこのライドのこれまでを少し、ライダーの目線から思い出しつつ紹介します。(いつかはライターとして表現したいという願望もまた、持っている)


2009年 初冬 瑞垣/MIZUGAKI

最初のRapha Continentalライド(当時は四列島ライド)。凍てつくような11月下旬の野辺山の寒さ、ほぼ顔見知りのいない緊張感、この日初めて乗るバイク、前週のシクロクロスで惨敗した不安、何かが始まるという予感とその何かを分からないままスタートしたこと。がむしゃらにペダルを回したライドに。暗闇の中、ヘッドライトと反響するみんなの声を頼りに峠道を越えていった。人生で三指に入る忘れられないライドに。

2009年 初冬 伊豆の国/IZU NO KUNI

続くライドは伊豆半島へとドライブダウン。車窓から見えた富士山が冬の光の中とてもきれいで、非日常にいることを実感した。急峻な海からの登り坂と、強風の西伊豆スカイライン。飛びそうな意識で暗がりの亀石峠を下り、最後の海岸線での高速トレインに意識が飛んだ。

2010年 春 高野山/KOYA SAN

聖地へ至る急勾配の巡礼の道。今思えば、大変に辻啓らしいルートだった。

2010年 春 美山/MIYAMA

美しい春の京都。山深くへ分けいって行くに連れて、高野山の悪夢が再来。苦しみ抜いたという点では、この日のライドが一番。今も時折思い出す。。

2012年 初夏 東北/TOHOKU

2011年の3月12日は、Continentalが予定されていて、前日入りした房総半島であの大地震を経験した。何人かの仲間と一緒だったことがせめてもの幸いで、余震の続く中、停電した旅館で眠れぬ夜を過ごした。乗るのは無理だと判断し、組み上げたバイクをクルマに戻した時の無力感は忘れられない。

あれから一年経ち、東北を走るためにライドが企画された。距離を重ねながら通過していく港、集落、仮設住宅の数々。未だに言葉にすることの出来ない、言葉にすることを躊躇う弱虫な自分に気づかされる。このフィルムと写真、文章が代弁してくれているものは多いが、他に感じたこと、思うことが僕にもある。

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少し懐かしくなって、今日、瑞垣の時に登った海岸寺へのルートを辿った。あの日はもう真っ暗で、このやたら曲線めいたカーブの形状だけを体が覚えていた。記事一番上の写真。